楽園王◎公演




Monochrome no Memento-Mori


モノクロームのメメント・モリ





201×年×月×日( )-×( )

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「つまり、僕を暗殺するために来たんですね?」
「いいえ、暗殺はしません。今日はそれをお伝えするために来たのです。」
「暗殺は、・・・しない??」
「はい。Luckyでしたね。」
「??」



・・・新作長編。「死」から見た「生」を描く意欲作を上演!! 上演は順延しました。いつの日かの発表をお待ち下さい。



日時:


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コメント: 

実は僕は「色弱」です。典型的な、赤と緑が区別しずらい、というもので、男性では20人に1人はいる、って説もあるので、珍しい訳でもありません。少し困ることもありますが、まったく分からないというレベルでもなく、うまく付き合って来ています。僕が紫を身につけている場合には、大抵は紺色だと思っている、そんなくらいですか、困る時は。ゴッホが色弱だって話もありますから、それ以外の才能と努力が実れば画家にだってなれますからね、色覚異常、って言われ方には抵抗すら感じます。僕らの時代には学校で色覚検査を当たり前にやっていたので、自分が色弱だという認識が僕にはありますが、今ではやってないそうですね。なんででしょうかね? で、実は最近、急に、自分は見え方が違うんだな、としみじみ思ったのです。生き物には色を識別する受容体があって、人間は3色3受容体ですべてを認識しているそうです。で、僕の場合には、その中の赤色を認識する受容体が壊れている。まったくダメ、なのか、少し故障しているくらいかは調べてないので不明です。時には、4つの受容体を持って色を認識している方もいるそうで、その方には信じられないくらいの鮮やかさで世界が見えているそうです。テレビで、そんな方にたくさんの同じようなトマトを黄色い順に並べるって実験をやっていました。普通の人には全部ただ赤いだけのトマトを、わずかな色味の差も感じて黄色い順に並べられる。僕には、緑との差すらあやふやな赤という色を、です。ちなみにトンボは凄い数の色認識ができるどうですが、まあ、その話は置いておいて、自分に話に戻りますが、ああそうか、赤って他に人にとってもっときっと鮮やかなんだ!と急に思ったのです。鮮やかだから、目立つ色だから、危険信号の色になったり、目立たせる場面で使用されたりしている。きっとそうなんですね?って急にひらめいた。そして、想像力は広がります。つまり色は、人にとって同じ色ではない、ということです。そこに、紛れもない、確固たる色が存在しているわけではなく、常に受け手の問題で色が決定されているだけ。変な言い方になりますが、色とは最初からすでにあるのではなく、色なき世界を僕らはそれぞれが勝手にそれぞれの色を着色しているのに過ぎない。僕は想像上の、認識が出来ない認識前の色を確定されてしまってない世界を思い浮かべます。ありえないですが、モノクローム、みたいな。で、話は変わりまして、ちょっと思い出したことがあります。昔、高校の演劇部にいた子で、ずっと眼鏡だった子がいるのですが、ある日コンタクトにしたのです。で、今まで、実は少しゆがんだレンズの眼鏡で見ていた世界が本物だと思っていたのが、ぜんぜんそうではなかったって気がついたって話です。もっと全体が太って認識していたそうです。もっと世界は痩せていたそうです。好きだったアイドルがもっと痩せたアイドルだったそうです。レンズが変われば世界も変わる。で、それでふっと思うのは、眼球もレンズだということです。そのレンズには、個人個人に差があるでしょう。僕の色弱と同じように、異常なゆがみのレンズを持った人だっているはずです。つまり、そこで思うのは、そもそも僕らは同じ世界を見ているのか?って問題です。つまりつまり、目の前には確固たるしっかりした世界があるわけではなくって、それは実はすごく曖昧で、認識している人の問題、眼球の機能に左右されて、世界の見え方とは人それぞれにぜんぜん違うのではないか、そんな風に考えたわけです。色の話と同じです。このことでは、手塚治虫の火の鳥に思いつく場面がありますし、フィリップKディックの短編で思い出すものがあります。そして、想像力がさらに加速します。僕は考えます。絶望、について考えます。今、目の前にある、絶望、について。世界の絶望について。色、そして形、今世界の見え方が受け手次第だということを書いてきました。今までも多くの学者さんが同じようなことを行ってきているはずです。そんな大した発見でもない(笑) これから書くことも何かの本では読んで耳にタコが出来るくらいの話かもしれない。そうでしょうそうでしょう。でも色弱の人間から見れば、単に考え方の問題ではなく、腑に落ちること、それは実感です。今目の前、たぶん、そこには確固たる揺るぎない絶望なんてものは存在しないのではないか? あれは蜃気楼、まぼろし、あるいは霧みたいなものか。つまり、常に世界のほうは中立で、どうとでも考えられる曖昧なものだけがそこに存在していて、それを解釈して(勝手に解釈して)絶望と名付けたのは自分自身なのではないか、そんな話です。それは、たぶん、事実です。自分を取り巻く世界とはけっこう曖昧、色もハッキリせず、形も受け手次第で、絶望や希望、喜びや悲しみも全部、決めるのは自分自身、いや、すでにもう決めているのが自分自身である、って話は事実でしょう。例えば僕が今考えているのは、僕の色弱や誰かの近眼や眼鏡のゆがみと同レベルでの精神疾患についてのことです。僕には、悪いけど、心の病なんてそれくらいの程度の問題です。低いとは言いませんし、低いか高いかは分かりませんが、解決の糸口は、解決と呼べるか分かりませんが、付き合い方は存在する、そういうような意味です。残念ながら、残念ですね、心なんて、薬が効きます。薬品なんかですら、気分をピピッて制御できてしまいます。色覚異常用の眼鏡なんてものも存在するし、近眼も老眼も眼鏡やコンタクトで付き合っていける。心の問題にも、ね、世界には確固としたものなんてないのだから、どうとでも対処できる、というのが僕の立場です。そして世界への見え方が以前とは変質する。モノクローム。それは僕にとっては単に白黒の世界ではなく、着色前の曖昧な世界の状態、そこへ絶望を着色するのか、希望を着色するのか、希望まではちょっと厳しいけど安泰を着色するのか、は、自分次第です。もちろん、色弱の僕にはちょっとした工夫も必要なんだけど、ね、誰かに手助けしてもらおうと勝手に思っています。演劇にはそれが必要だし、幸いにも人には恵まれているのだからと。(楽園王 長堀博士)




公演会場■下北沢OFF・OFFシアター
〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-11-8 TAROビル3階
※劇場ロビーは、下北沢南口駅前のビルの3階です。
 同じ階には別の劇場、「駅前劇場」もありますのでお間違えのないようお気をつけ下さい。



劇場事務所: 03-3424-3755

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